2021年7月11日日曜日

映画:フィッシュマンズ


昨日(7/10)は、劇場公開されたばかりの『映画:フィッシュマンズ』(舞台挨拶付き)を観に行きました。(カワズ)

この映画は、フィッシュマンズのメンバーや関係者の方々へのインタビューを軸に、ライヴやレコーディング、メディア出演時の映像などを交えたドキュメンタリーです。作品の構成は、メンバー間の出会いからバンド結成、メジャーCDデビュー、世田谷三部作、ボーカル佐藤さんの死、そして現在の活動へと流れてゆき、基本的に時系列に進みます。監督自身がアクシデント的に介入したり、成り行きに翻弄されたりすることは全くなく、さらにいえばバンドに対する私的な思い入れも意図的に排除したようで、全体としてとても俯瞰的で偏りのない作品だと感じました。その仕上がりのクセのなさに物足りなさを感じる人もいるかも知れませんが、非凡なアーティストを語る映画のさじ加減としてはちょうど良かったと思います。
一方で、カメラを前に語られる証言やコメントはどれも重みがあり、とてもヒリヒリしてリアル。20年以上前のエピソードであるはずなのに、まるで昨日のことのように様々な、時に辛い感情を吐露する関係者の言葉からは、佐藤さんの存在と不在が彼らの人生にもたらした影響のあまりの大きさ、そしてフィッシュマンズに今なお宿っている、多くの人の心を引きつけて離さない魅力の大きさがひしひしと伝わってきました。3時間近くある作品でしたが、随所に挟まれる彼らの音源やライブパフォーマンスの素晴らしさも相まって、中弛みは一切感じることなくあっという間に終わってしまいました。

個人的な話ですが、33歳の若さで亡くなったボーカル佐藤さんがまだ存命だった頃、九州の大学で軽音楽部に所属しバンドマンだった僕は、『空中キャンプ』以降、彼らのライヴを頻繁に観に行っていました。他県に足を運んだこともありました。そこで目にしたパフォーマンスは、今も自分にとって宝物であるのは間違いありません。でもそんな時期はほんの数年。すでにそれより何倍も多くの季節を過ごしてきた今になって思うのは、フィッシュマンズの音楽は、過去の思い出に浸るための手段として楽しむには余りにも違和感があるということです。アルゼンチンの音楽家カルロス・アギーレの20年前の作品が20年前のノスタルジーを喚起しないのと同じように、あるいはビートルズが未来のアーティストやリスナーを虜にし続けるように、佐藤さんの歌詞やメロディー、そしてフィッシュマンズのサウンドは、ごく当たり前に、常に刺激的な作品として今もあり続けていることをあらためて実感しました。フィッシュマンズは決して90年代の思い出とだけ鳴り響く音楽ではありません。大げさに言えば、過去を作る音楽ではなく、未来を作る音楽だと思います。




「映画:フィッシュマンズ」 予告第一弾

「映画:フィッシュマンズ」予告第二弾